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ご挨拶

 院長の檮木(うつぎ)です。

 

 開業して今年の1月で丸3年を経過したことになります。前院長のあとを継承し、当院のモットーである「0歳から100歳まで優しく人を診る(人見)」を忘れないように診療して参りました。3年のうち2年間は新型コロナウイルスという我々が未だ経験したことのない難敵との闘いでしたが、患者さんやスタッフに助けられながら地域医療に貢献する難しさを実感しつつ診療してきました。開業当初はブログを書いて日々少しでも発信していこうと思っておりましたがなかなかできませんでした。やはり初心を思い出してブログを書くべきだと思い立ちました。お時間のある方は読んでみていただければ幸いです。


 まずは簡単に私自身の経歴からお話させていただきます。私は浜田山の隣町に生まれ、今も生まれた家に住んでいます。幼稚園、小中学校、高校と杉並区内の学校に通い、大学も隣の新宿区に通いましたので本当に地元から出たことがありません。それが良いことかどうかはわかりませんが、私の父はサラリーマンだったくせに「子供の教育には引っ越しはなるべくしないほうがよい」という考えだったようで転勤を拒否していたようです。サラリーマンで転勤を拒否していたのでは出世はできなかったのでしょうが、おかげで私は多くの友達を地元で得ることができました。


 学生時代は勉強というよりはクラブ活動ばかりしていた印象があります。軟式テニスというスポーツを中学から始めて大学まで熱心に取り組み、ブランクあったものの今でも続けています。今はソフトテニスと名前が変わりました。決して運動神経がよかったわけではないので全国レベルに到達したことはありませんが、とにかく体力だけはそのおかげでつきました。94歳で亡くなった母親が群馬県の軟式テニス代表選手で全国ベスト8ほどの実力があったようで、その影響で姉もテニスをやり私も何の疑問もなくやることになりました。妻も息子もソフトテニス経験者ですので このマイナースポーツの魅力を家族で共有しているのは幸せです。この魅力についてはいつか他のブログで語らせていただきます。


 医学部を卒業するときにどんな科に進むか迷いました。我が家はだれも医師がいない家系だったので跡を継ぐ必要もなく自由に選ぶことができましたが、自由過ぎて迷ってしまいました。40年ほど前は「優秀な外科医は優秀な内科医でもある、その逆はない」などと今では決してそのようなことはない名言(迷言)にそそのかされて外科医になろうと決めました。外科といっても色々な分野があり、その当時一番勢いがあった「脳神経外科」に決めました。昭和40年代に新しく創設された診療科ですから消化器外科や内科などに比べればとても新しい診療科です。その科に入るのは医学生時代に成績優秀だった者ばかりでしたが 大して優秀でもなかった私は思い切って入局することに決めました。それは「脳」という未知の分野への興味と「外科」という自らの技術で人を助けられるという憧れからでした。それに加えて「怠け者の自分は一番厳しい環境にいないときっとダメになってしまう」という危機感からでした。


 入局して半年も経たないうちにすぐに後悔しました。あまりに大変すぎてついていけるか自信がなくなりました。朝から晩まで働き、月に多いときに20回以上の当直があり、家にはほとんど帰れず、溜まっていくのは下着の山という生活でした。売店のおばちゃんには「あなた、またパンツを買いにきたの」といわれたものでした。今では許されない超ブラック企業のようなものでした。しかし人間おかしなもので「脳外科はそういうものなんだ」と思い込むと何とかやれるものです。そんな大学病院での生活を10年ほど続け、脳神経外科専門医と学位をとると、次には「さ~市中病院に行って頑張ってこい」と放り出されます。

私も35歳のときに都内の新しい市中病院に脳外科が新設されるので行って作ってこいといわれ派遣されることになりました。以来24年間その病院で勤務し3000例ほどの手術をすることになってしまいました。その病院には常勤脳外科医は2名で大学から週何人かのサポートがあるものの24時間365日常にオンコールの状況でした。夜中にくも膜下出血の患者さんが救急搬送されれば明け方まで手術をしてそのまま朝から外来をするような生活が続きました。それでも倒れなかったのは若いころにクラブで勉強もせずに体を鍛えたからだと本当に感謝しました。


 後継者も育ちキャリア終盤になったときに10数年前から週一回だけお手伝いしていた人見クリニックの院長先生から継承しないかというお話をいただきました。大学病院 市中病院と経験したので最後は地元の開業医としてちょっとはお役に立ちたいと決心した次第です。ゼロから作ることの難しさは市中病院で経験していたので前任の常山先生が20年かけて人見クリニックを作り上げ地域医療に貢献されたことに対しては本当に尊敬しております。


 病気になった方の8割が地元のクリニックを訪れ、大きな病院をいきなり受診するのは2割ほどだといいます。大きな病院に勤めていたときには「頭痛ぐらいでこないでくれ」などと身勝手なことを考え、重症者を治療することばかりに目が行っていた若かりし頃もありました。しかし開業医となり地元の方の不安を少しでも解消できる存在なんだと改めて知ることでき、その責務を果たさなくてはいけないと思い知りました。私は脳神経外科医でしたが、幸い昔の脳外科医はなんでもどんな患者も診させられました。救急外来では主導的な立場となり、ICUなどの重症者の管理にも脳外科は関わります。その時に脳卒中の基礎疾患である糖尿病・高血圧・高脂血症など内科的な疾患を治療する経験をたくさん積むことができ、開業してからはとても役立っています。外科医といえども8割は生活習慣病の管理をしていたといっても過言ではありません。さらに当院は小児科もあり、大学から小児科専門医を招聘して診療しています。また循環器内科専門医もおりますので色々な身体の不調についてご相談に乗れることができると思います。ホームページに相談のためのアドレスもありますのでご利用ください。


 これからも浜田山、高井戸東、成田西などの地元の方だけでなく、生活習慣病、頭痛、認知症、小児疾患、心臓病、ケガなどにお困りの際は受診していただければ幸いです。各科の専門医が拝見させていただきます。これからも人見クリニックをよろしくお願い申し上げます。

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